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日和幼稚園遺族有志の会
子どもの安全を考える
あの日のこと
宮城県石巻市の日和山に日和幼稚園はありました。
最大震度7、マグニチュード9の巨大地震が発生したのは、2011年3月11日午後2時46分。
大きな揺れがおさまった直後、防災行政無線からは大音量のサイレンと「ただいま大きな地震が発生しました。沿岸河口には近づかないでください」「大津波警報が発令されました」「高台などに避難してください」などのメッセージが繰り返し流されていました。それにもかかわらず、幼稚園に居た園児たちはバスに乗せられ、山を下って沿岸地域に向かったのです。
幹線道路は避難する車で渋滞していました。海に近い町内を走行したあと、バスはいったん日和山ふもとの門脇小学校の校庭に立ち寄りました。その時、幼稚園の先生2人が幼稚園から歩いて小学校に来たのですが、先生たちは園児たちをその場に残して帰っていきました。幼稚園バスはその後小学校を離れました。
巨大津波が沿岸地域の街を襲ったのは、地震から1時間近く経ってからです。町は壊滅し、火災も発生し焼野原になりました。
5人の園児たちの行方がわからず、お父さん、お母さんはわが子を捜しはじめ、発見したのは3月14日。
園児たちは、想像を絶する姿で、真っ黒に焦げ下半身はすっかりなくなり、手も肘(ひじ)から下がなく、抱きしめると壊れてしまいそうでした。
「なぜ、高台から沿岸地域に向かったのか」
「なぜ、門脇小学校に先生が来たとき、園児たちを連れて幼稚園に帰らなかったのか」
「なぜ、幼稚園バスを運転していた運転手だけ幼稚園に戻ってきたのか」
「なぜ、保護者に通知していたのと違うバスに園児を乗せたのか」‥‥
" 私たち遺族には今も多くの「なぜ?」が残ったままです。"
※日和幼稚園は、日和山(標高56m)の中腹に休園状態で残っています。
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